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其の三:福祉体験館 誕生!

まずは「福祉体験館」の建物が完成し、ついでに事務所の2Fに僕たち夫婦が住むことになりました。まずは僕と兄の2人でスタートしました。その後電気工事時代からの若手2名も含め4人でスタートです。

最初は分からない事ばかり。介護保険がスタートして2年ほど経過していましたから、先駆者や大手が大きなシェアを占めておりました。
営業先でも電気工事からの転身と聞くだけで「金儲け」「どうせ中途半端」など非常に厳しい声が多く長い間相手にすらしてもらえませんでした。
これも今になってみると当然の事であったと思います。半年間は全く仕事が無かったのです。基本的にその時のスタンスは兄が「営業」僕が「現場・配送」というスタンスでした。

兄は仏のような人間で非常に福祉に向いている人間です。
僕と違って、きちっとどんな人にも気を使えるタイプなのです。
そんな兄にはたくさんのことを勉強させてもらいました。
その中で一番商売の中で大事なことを教わりました。

当時の介護ショップは「殿様商売」と申しましょうか、ショップ側が非常に強い権限を持っていました。また卸元も「100万円の預り金がいる」だとか「一流大手との取引が無い所はお断りしている」だとか「Aショップとの取引が大きいのでお宅とは取引できない」とか非常に今では考えられないような環境でした。

お客様がカタログから「この靴下がほしい」といっても合計でいくらか以上の購入でないと「送料」がかかるので、注文量がその額に達するまで待ってからショップは発注するといったことを平気でしておりました。
「小口の注文は納品まで時間が掛かるので1、2週間待って下さい」ってな感じで・・・。1個で100円の儲けしかないのに500円の送料自腹をきらないと翌日に配達できない!

だれもしませんよね・・・・。そして利益上の観点から、どこも一切在庫を持たずにやろうとしておりました。
当然顧客目線でいうと「遅い」「高い」「不親切」になるわけですが、ショップとしては赤字が出るので当然我慢しなさい、というような対応であったのは間違いありません。

兄は「お客様が望んでいるタイミングで物をお届けできねばおかしい。ご迷惑だ」と考え、たとえ赤字が出てもお客様のご要望のタイミングで納品するようにし始めました。

最初は僕も反対しましたが、兄の言うとおりであることを確信し、利益度外視でお客様のご要望に沿えるように2人で走り回りました。いつも運送屋さんに電話をして「早く持ってきてくれ」または「○○まで行くからそこで荷受けしてくれ」と無茶を言っては配達したのを覚えています。

今では当然かもしれませんが、お客様のご要望を聞かずに、支持して頂けるはずがない。最大限のことをやりきってダメなら頭を下げねばならない。とことんまで聞きまわってそれでも希望納期に間に合わないか?常に代替えや策はないか?と本当に真剣に考えたことが次なる新しいサービスや営業戦略に繋がりました。当然本当に後が無かったのです。必死でした。

同時にデイサービスでレクリエーションなどに困っていたので「レクリエーション用具の無料貸し出し」や福祉用具なども一度使っていただかねばわからないし、使ってみれば邪魔になることもある、喜んでもらうためにはデモ品がいると考え福祉用具の「デモサービス」もしました。非常に手間も費用も掛かりますが、お客様に喜んでいただく、納得していただくには必ず必要なことです。いまでもデモ品サービスはなかなかできないところが多いのが現状です。(管理が困難)

また当時は資金の面から大手卸会社からレンタル商品を借りて、大手卸会社のカタログにスタンプを押して価格を決めるカタログにしていました。ですからどの会社も同じカタログでパッとしない。そこでどこもやっていなかった「自社カタログ」作りもしました。この経験も大きく今に生きています。ホームページも作りました。

そして自社倉庫で自前の製品で自前の消毒設備で、自前の管理システム。システム面やソフト面などでも強化を図り徐々にお客様に支援して頂けるようになってきました。皆様がこんな無知な若造達に応援のエールを送って下さったのです。頼りにしてくださるのが本当に嬉しかったのです。

途中からは僕も営業に参戦し、システム面やソフト面、仕入れ先の開拓や新規開拓など人数が少ない分あらゆる分野の仕事をしました。
特に営業兼配達であるので地域も広範囲で非常に仕事はハードでしたが、本当に楽しくて仕方がなかったのだなと後で感じます。

(その当時は逃亡して、遠い南の島でウクレレでも弾いてトロピカルジュースを飲んでやろうと思うくらい辛かった)

最初は最小限の装備と人数で始めました。福祉用具の仕事は少ない人数でやると本当にハードで分刻みのスケジュールです。気づけば一日中トイレに行けなかったことも多々あります。一日最高で30件ほどの納品や打ち合わせ、集金、契約などに回った記憶があります。たまに人と話をしたくなくなるほどハード。よく倉庫や展示用のベッドで寝てしまっていることもありました。

軽バンしかなかったのでベッドを積むと車いすやポータブルトイレが積めない・・・なので車体上のキャリーにくくりつけて行って落としたことも多々あります。とかく時間が無く一分一秒の間隔で回っておりました。当然お客様のところでは急げませんし、途中で説明を止めるわけにもいきません。それくらい異様な時期もありました。
人数が増える度にシステム強化、そしてある時期になったときにシステム変換が必要になります。自宅がすぐ下で長時間仕事がしやすい環境であったこともあり本当に目の色を変えて毎日深夜までシステムづくり・ルール作りなど業務とシステムづくりを頑張った時期でもありました。でもそんなハードワークが色んな知恵を生み、今の自分の下支えになっており自分の糧になっているのは言うまでもありません。当然知識が無く、考えが浅はかであったが故のハードワークであったのも当然ではあります。

  1. システムの開発

  2. ソフトの導入・全社員共有

  3. 取引先の開拓

  4. 価格交渉

  5. 経理

 

で非常に勉強させてもらいました。4年間死ぬ気で頑張ることで徐々に軌道に乗り始めていました。この頃25歳から29歳の4年間です。

この仕事で人間が変わる・・・

福祉体験館在籍時は福祉を通して僕の人間性が大きく変わった時期でもありました。それは「感謝」です。人生の大先輩・80歳や90歳の大先輩が僕たちのような若輩者に「ありがとうね」と何度も何度も言って下さるのです。

本当は足りない部分だらけのただの若造に。言われるたびに
「とんでもない。でも、もっと喜んでいただけるように努力したい!」
自然にそう思うようになってきました。
確実にこの方に「変えて頂いた」と思えるような方に出会えたことは本当にラッキーだったかもしれません。

電気工事をしなくて良かった(大げさですが)と思ってしまうくらい人間が変わった。そして「感謝」というものの偉大さを思い知りました。身近な人間ほどなかなか「感謝」って思っていても言えないんです。でも「感謝」というのは世の中で一番大事なことかもしれません。永遠のテーマです。

その頃の住宅改修

その時同時に「住宅改修」という今の本業であることも上記業務と兼務しておりました。これは今もどこの介護ショップも一緒で兼務していることころが多いのです。しかし制度が変わり・事前申請と・事後申請の2回に分けて申請し承諾をもらわねば介護保険の補助を受けて工事することが出来なくなりました。

そこからでしょうか・・・福祉用具の配達と住宅改修の時間の使い方に非常に差が出すぎて、大好きだった住宅改修をしたくなくなってしまったのです。
福祉用具は小さい仕事、配達、打ち合わせの連続です。
住宅改修は打ち合わせ、工事、など一軒一軒に要する時間が非常に長く、福祉用具の仕事時間を非常に圧迫してしまうのです。
かといっていい加減なことはできないし、それだけのことで人も補充できない。
お客様の家にお伺いできる時間は日中限られています。

面倒くさくて金額が少ない割にすごく時間を費やすのです。その上小さな追加や法上のグレーゾーンが多く、各機関(病院やリハビリ)とのやり取りも非常に多いのです。

介護ショップだけでなく

  1. 理由書を書くケアマネージャーさんも非常に面倒・リスク大(報酬無しも多い)

  2. 住宅改修をする介護ショップも儲からない割に時間とリスクが大きいので面倒

  3. 工務店も本当に小さい仕事ばかりでメリットが無い。

 

お客様との調整だけでは話が進められない
すぐ工事にかかれないし面倒なことをいろいろ言われる。
儲からないことが分かってすぐに営業を辞めてしまいます。

簡単に言うとサービス提供側からしたら、3悪の商売なのです。

そして社員教育にも非常に「好き・嫌い」が分かれ、統一したサービスが難しい。建築のことまで考えねばならないので「そこまでやってられへん」という風潮になりがちで、元来は手すりのほうが良いのに福祉用具を進めたりするようになってきてしまったのです。自分自身も・・・。

当然福祉体験館でも「住宅改修はやめるべき」という判断が下されようとしていました。 僕は常々30歳までには自分で会社を作り自分で考えたサービスを展開したいと考えていました。部下も育ち自分の地域も任せられるようになっておりました。歳は29歳になっていました。そこで父に「資産や援助は一切なくていいので、住宅改修の専門の別会社を作るから住宅改修は一任してほしい。」と言いました。僕からすると当事業内独立や別部門創設の方が簡単でリスクが低いのは当然でしたが・・・・。

事業内独立や部門創設、親会社からの出資を伴う子会社は必ず「甘え」が出ます。頑張らなくても最低限の給料がある、失敗しても
「あかんかったなあ」で済む。

そんな軽い気持ちでどんなことをしても成功しない。
福祉体験館も「背水の陣」で失敗したら一家が路頭に迷う。
そんな危機感があったから何とかやって行けたと思います。

ただでさえあまりお手本の無い分野での起業の上に甘えがあってうまくいく筈がありません。だからややこしいけど、当分はお客様にご迷惑をおかけするかもしれないけど「別法人」としてお願いしました。

父親はというと、
儲からないし、本業に支障が出る、足を引っ張る分野
だからやめようかという話をしているのに、それを専門でするといったので当然大大大反対でした。父からすると苦労が目に見えていたからでしょう。

「うまいこと行かないに決まっている」その一点張りでした。
福祉体験館の方はやっと何とか先が見えていましたから、何をわざわざ借金してリスクの高い苦労をするんや?という気持ちだったと思います。

しかし僕にとってみれば福祉体験館の設立後数百人の方に接して手すりや改修工事も社内では進んでやってきました。基本的に工事は大好きですから。
今まで行けなかったトイレに自力で行けた・それによって非常に喜んでもらい、涙を流してくれた、そんなお客様のことを思い出したら「絶対やめたらあかん!」と思わざるを得なかったのです。

「みんなが嫌がることでも、うちがまとめてできたら家族ぐらいは食わしていける」という自信はありました。そして何よりも住宅改修を辞めると同業他社より劣る部分も出てくるわけなので福祉体験館もシェアを落とします。分けることでのマイナス面もあるかもしれませんが、グループ会社という形で両社タイアップしながら各専門性を磨き、仕事を紹介しあえる方が、必ずマイナス面よりプラス面が大きくなるのではないだろうか?みんなが面倒でやりたくないだけで水面下の需要としては絶対にあるのではないだろうか?確信はありませんでしたがそう思ってなりませんでした。

一人からのスタート。収入0からのスタート。失敗したら借金が残る。そして古巣へ戻るようなことは絶対にできない。
「最悪ダメならコンビニで夜勤でもするわ」
そんな言い分を受け入れてくれた奥さんには本当に今でも感謝しています。
奥さん以外の人間の反対は押し切れますが、乳飲み子を抱えた奥さんに反対されると本当にキツイのです。相当の勇気が要ります。「自分勝手なのか?」と思い悩むことでしょう。

父親からははっきりした了解をもらったかどうかは覚えていませんが、半ば勝手にやめる時期を決め会社設立の準備をしました。29歳の冬でした。
他にもいろんな職業での起業も考えておりました。

基本的には自己資本が少なくて体一つで開始できるものを。
便利屋      ・・・この地域では少し難しいかな?
おそうじ本舗FC ・・・掃除に金払うかな?

違う道を選択していたらどうなっていたでしょうね?

最終的に介護の住宅改修に決めた理由は

  1. お客様にとって良い事業 (面倒な申請等してくれてスピーディに補助が受けられる)

  2. 社会的に良い事業    (転倒を予防し医療費の増加に少しでも歯止めをかける)

  3. 我々にとって良い事業  (少人数ながらでも雇用が生み出せる)

 

であり、みんながやりたがらない仕事であったからです。

何よりも頑張れば「喜んでいただける」のが一番の魅力でした。
3悪の商売も視点を変えれば「3方良し」の商売になるのです。