其の一:学生から社会人へ
幼少期からお話しすると非常に長くなるので働く前くらいからのお話にしておきましょう。そもそもうちの実家は「電気工事業」を営んでおりました。もともとその家業を継ぐべく、ぼんやりながらも大学では「電気工学科」を専攻し卒業しました。大学は「摂南大学」という大阪の理系大学で特別な大学ではありません。今から思うと自分で「こうしたい」「こうなりたい」なんていう思いもありませんでした。
全てを正直にお話しますと当然学生時代など勉強するはずも無く、アルバイトメインで親のすねをかじった大学生活を送らせてもらったと思います。父親も「大学生活の4年間は大人として遊ぶための時間で、人生で一番楽しい時間や」と言う考えの人間でしたから、本当に僕も4年間色々と実になる人生勉強をさせて頂いたと思います。
通常なら私立の大学など行ける余裕もなかったのですが、たまたま時代はバブル時代!。タイミングも非常によかった。私は運が良かったんですねえ!
大阪で、ボロアパートで独り暮らしを始めました。家賃は3万円。
当時早く家を出たかった一心でした。その年頃だと当然かもしれません。
独り暮らしをしだしてから、それはもう楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。まさに「自由」なのです。
一ヶ月間友人と野宿旅行したり、そのへんのおじちゃんに泊めてもらいながらノープランの北海道を旅行したり・・・・下宿先でいつもドンちゃん騒ぎをして(僕のボロアパートはたまり場)木の棒で殴られたり・・・コンビニの夜勤で酔っぱらいのチンピラに「おでんに髪の毛が入っとるやんけ!全部変えろ!」といちゃもん付けられたり、お客さんの娘さんを連れてこられて「この娘と結婚したってくれ」とレジで言われたり・・・。大阪って面白い町やなあ・・・。と思いました。
今でもその時代の友人と機会があれば集まります。大阪では本当にいろんな意味で色んな勉強をさせてもらいました。路上駐車のテクニックや割り込みのテクニックなど・・・。郷に入れば郷に従えですね。アルバイトも何十種類したでしょう?なかには「クビ」になったこともありますが、当時は若かったので相手の立場などあまり考えられなかったのでしょうね。自分もそうであった故に同じことをされても許せるようになるのかもしれません。
そんな学生時代を振り返り新人の社員を見ると「若いのに偉いなあ!」と感心してしまいます。勉強以外の色んな手段で何とか留年せずに4年で卒業できたのは今でも奇跡としか言いようがありません。そんな楽しい学生時代を卒業し社会人になるのがすごく嫌だった思い出が今でも忘れられません。